コラム

【後編】テレビ業界で働きたくて専門学校に入ったけど、実質1/3は通学していなかった上に、結局テレビの仕事を辞めたお話



目次

 

 

前回のつづきを書いていきます。

 

目次
1、テレビ業界に入るまでと入ったきっかけ
2、ADって…眠い
3、えっ、私の給料低すぎ…
4、繰り返す入退院~肉体崩壊の始まり~
5、ヒトコトで言うなら向いてなかった
6、それでもやりがいを感じられた仕事
7、で、働いてて結局何がプラスになったの?

8、おまけ(当時の写真付き)

 

 

 

3、えっ、私の給料低すぎ…

 

入社当初はよく考えていなかったのですが、給料は低かったと思います。

局員ではなく、制作会社所属だったので手取りで20万円いかないぐらいでした。
「残業」という概念がないので、月に200時間働いても400時間働いても給料は変わりません。
昇給・賞与・退職金も一切ナシ。

 

 

今思うとよく生活できていたなぁと・・・
会社にいることが多いので「買い物に行かない=お金を使わない」おかげでなんとかなっていました。

 

給料は番組が一緒でも制作会社によって形態が異なるようで、キー局の子会社にあたる制作会社に所属していた同僚は、同じ仕事をしていても手取りで27万円程度あったようです。
ただ、夏休みなどで一週間ほど休むとその分かなり引かれていたとか・・・

 

そりゃ過労死も出るわというぐらいの拘束時間なわけですが、これってテレビ業界では当たり前になっているんですよね。

 

また、制作会社もいろいろあり、私がいたような情報・報道番組を中心に扱っている会社もあれば、バラエティ番組のみ、ドラマ制作のみを行う会社もあります。
ジャンルにより働き方の違いはもちろん出てきます。
人づてに聞いた話なので、本当かどうか分かりませんが、今春終了した「め〇ゃイケ」のスタッフは年間休日がたった3日だったとか・・・

 

「土日祝日お盆年末年始は休みたい!」という人はぜったいに働けないですね。

 

ちなみに、私がいたのは朝の情報番組のため日曜日以外は毎日生放送がありました。
するとどうなるかというと、祝日の概念がなくなります。
祝日、仕事中に外部の一般企業等にたまたま電話をする機会があって初めて「営業終了・・・?あー!今日祝日か!」と気付かされてました。

 

 

4、繰り返す入退院~肉体崩壊の始まり~

 

電車の中で倒れたり、駅のエスカレーターで倒れたりと、ADとして働き始めて3年を過ぎたあたりから体調を崩しやすくなっていきました。
ロケに行く途中に倒れて、そのまま一週間入院したこともありました。

 

当時の勤務表が残っています。

 

勤務表はコチラ

 

 

載せたら怒られるんでしょうか?
でも載せちゃったもんねー。

 

頭の一週間は会社に泊まってて、休憩時間は仮眠した時間を記入しています。

 

↑の勤務表の赤で囲ってる部分。

 

「週に1回、月に4回は休むようスタッフに指導してください。」

 

休みは無いわ。
というか仕事量的に無理、むりムリ無理。

 

タクシーで交通事故に合い入院、その後首にコルセットを巻いて仕事をしていたディレクターさんもいました。
(まだ治ってないやん・・・)

 

思えば5年間ADやってて、健康診断行けたのは1回だけだったような気がします。

 

 

5、ヒトコトで言うなら向いてなかった

 

入退院を繰り返した後から、さすがに色々と考えるようになりました。

 

すごく軽い気持ちで業界に飛び込んでみただけだったので、先のことを考えた時に、何も思い付かなかったんです。
こうなりたい、ああなりたいというイメージも無くて、毎日仕事をしている中で、だんだんと「作業」になってきている自覚もありました。

 

このまま続けてディレクターになって、いろんなところに1人で取材に行ってVTR作ってOAして、10年、20年、30年・・・という未来が自分自身と一切マッチしなくて。

 

じゃあ、それ以外の生き方って何があるんだろう、何も分からない。

 

狭い世界で生きてるなぁと思い始めた頃でした。

 

毎日疲弊して新しいことをヤル気も起きない、基本局内に籠っているので外部の知り合いも少ない。仕事ばかりしているので友達も減る。

 

嗚呼、負のスパイラル。

 

こんなの気にせず、ただ自分のやりたいこと、やるべきことを見つけて、それを追い求められる熱意のある人か、割り切ってミーハーに振り切ってる人しかこの仕事は続けられないなと思い、転職。

テレビの仕事を辞める決意をしました。

 

 

6、それでもやりがいを感じられた仕事

 

当時、スタッフ全員が疲弊しているため、新人に一からしっかりと仕事を教える人員・時間が無く、「失敗して怒られて覚える」が当然でした。
怒られてムカついて泣いたり、理不尽なことに不貞腐れたりすることもたくさんありました。

 

それでも、ADとは言え、ロケやOAで自分のアイディアが採用されるのは素直に嬉しかったです。

 

「評価されたい」と思ったことが無く、自己アピールが下手くそな私ですが、しっかり見ててくれるディレクターさんがいたのは唯一の救いでした。

仕事のできるディレクターさんでした・・・。

 

プライベートはゴミみたいな人たちが多かったけど。

 

 

 

7、で、働いてて結局何がプラスになったの?

 

当時、あれだけ働いていたので、転職後の多少の残業や休日出勤をなんとも思わないという忍耐力?が身に付いたことでしょうか。
でも、このブラック思考も身体に良ろしくないので、今はここも改めようと思っているところです(笑)

 

また、転職後、テレビではないもののイベントや広告に関する仕事ということで、キー局にいた頃の人脈が役立つことは多々あります。
今の仕事は人との関わり方がモロに仕事に影響してくるので、常に自分の身の振り方を意識しないといけません。
ADの時は忙しさにかまけて人とのつながりを蔑ろにすることも多かったので、今はとても反省しています。

 

あと、残業代が出る、ボーナスがある、土日祝日休み、代休取れる、有給貰える、社会保険完備って本当に素晴らしいことなんだと気付かされました。

 

健康で文化的な生活。

ものすごく尊いものだと強く実感しています。

 

 

 

 

以上です。

 

次回は当時の写真とともに印象に残っている業務を振り返りたいと思います。

 

 

 

 

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