コラム

【前編】テレビ業界で働きたくて専門学校に入ったけど、実質1/3は通学していなかった上に、結局テレビの仕事を辞めたお話



 

 

「テレビやるから東京行きまーす」

 

 

 

 

 

そう言い残し、地元秋田を飛び出して早8年。

もうテレビの仕事は辞めました。

 

 

今は株式会社エイスリーでキャスティングのお仕事をしています。
HP:http://herocasting.jp/

 

私が所属しているイベント事業部では、学園祭、企業イベント、商業施設イベント、お祭り、その他各種イベントへの芸能人のキャスティングを行っています。

 

中でも私が多く関わっているのが「学園祭」の案件。
まさに、この「学園祭チャンネル」を通してたくさんの実行委員会の学生さんと出会いました。

 

私は雑談が好きなので、学園祭以外のこともお話するのですが、話してみると実行委員会に所属する学生さんは芸能系の仕事に興味のある子がけっこう多い。
前職のテレビ業界の話をすると「実はテレビ局受けようと思ってて…」とか「○○(番組名)で働きたいんです」「芸能事務所って普通に入れるんですか?」という子たちがチラホラと…。

 

 

ということで、今回、次聞かれたときに参考にしてもらえるようにテレビ業界で働いていた時のことをまとめたいと思います(自分語り)。
いち底辺ADだった人間の意見なので、人によっては参考にならないかもしれませんが、ちょっとテレビ業界気になってる学生さんの役に立てばいいなと思います。

 

 

 

 

これを読んで、引き続き業界を目指すのか、やめとくのかはキミシダイ。

 

 

 

目次

 

 

1、テレビ業界に入るまでと入ったきっかけ
2、ADって…眠い、えっ、ねむい
3、えっ、私の給料低すぎ…
4、繰り返す入退院~肉体崩壊の始まり~
5、ヒトコトで言うなら向いてなかった
6、それでもやりがいを感じられた仕事
7、で、働いてて結局何がプラスになったの?

8、おまけ(当時の写真付き)

 

 

1、テレビ業界に入るまでと入ったきっかけ

 

 

あ、ここは業界の話してないので、飛ばすか斜め、もしくは縦読みしてもらって良いです。

 

 

18歳、秋田で農業高校のJKやってました。
農業高校生とテレビ業界?
全く結びつきませんが、ちゃんと理由あるんです。

 

 

もともと、小学生の頃から夏の甲子園を毎年録画してまで観戦する程の野球好きだったんです。
「現役高校生のうちにアルプスで応援したい!」と思った筆者少女は、県予選を勝ち抜いて甲子園出場できる可能性のある野球の強豪校に入学します。
それが、前述にあった農業高校です。
2007年、高校1年生の時に無事甲子園出場し、アルプスで全校応援する夢を叶えられました。
(まだツタが生い茂っていた頃の甲子園球場で!)

 

 

この頃、深夜に地上波で放送されていた「熱闘甲子園」を見ていたく感動。
番組冒頭のダイジェスト映像、試合の見どころをうまくまとめた編集と脚本、長○アナのインタビュー、選手たちのファインプレーや勝敗の瞬間、裏側等をまとめたとにかく泣かせるエンディング・・・

 

 

なにからなにまで完成されてて、十数年間の人生で一番感動させられた瞬間でした。
それから、「高校球児の取材をしたい」と思うようになるのに時間はかかりませんでした、たしか。

 

 

 

さて、農業高校生がどうやってテレビ業界に入ったか。

 

 

高卒を採ってくれるような会社はこの業界なかなか無かったので、タイトルにもあったように専門学校に入りました。
(日本工学院専門学校放送映画科)
入学してすぐに、学校の紹介で当時放送されていた「めざ〇ゅ~」でのバイトに採用され、学校と仕事の両立(できなかった)生活が始まりました。

 

 

 

2、ADって…眠い、えっ、ねむい

 

 

「めざ〇ゅ~」のバイトをしていた頃の一日のスケジュール

 

 

 

0:00 起床、出社準備
1:00 タクシーで出社(経費番組負担)
8:00 仕事を終え、学校へ向かう
9:00 座学や実習等を行う
16:00 一日の授業を終え、居残りで休日に行われるオープンキャンパスの準備や課題をこなす
19:00 学生寮帰宅
20:00 晩ごはん
21:00 お風呂
22:00 就寝
24:00 起床、出社準備

 

 

 

いやぁ、若い。本当に若い。

若さに満ち溢れたスケジュール感。
もう体力的にこんなの無理。

 

 

夜の10時に寝て深夜の1時には出社、めざ〇しテレビ終わりの8:00に学校に向かうという生活を週5でやってました。
この時はアルバイト契約?だったので、

月給8万円。

今思うとひどいもんですが、この時はキツイながらも楽しくやってたような気がします、たぶん。

 

 

仕事内容は、放送作家の先生が書いた原稿をアナウンサーや担当スタッフに配る、テロップの発注、その他雑用です。
2年制の専門学生生活のうち、1年ちょっとはこの生活を続けてました。

 

 

2年の夏に番組制作会社に就職し、「めざ〇ゅ~」のバイト経験もあるということで「めざ〇しテレビ」で働くことに。
履歴書に「野球好き」と記入したせいなのか、スポーツ班へ配属。

 

 

 

 

 

配属から半年後、

 

 

 

 

「おまえ、甲子園いく?」

 

 

 

 

 

新人AD、まさかの入社して半年で夢の甲子園の舞台へ―。

念願だった甲子園取材では、試合前後の選手の取材、アルプススタンドでの応援団や選手のご家族への取材、地方局からの映像素材の伝送(甲子園で取材した映像を東京の局へ送ること)等々・・・

 

 

一週間ほど現地に滞在していたのですが、腕や足、首が真っ赤に、頭皮はボロボロと剥がれ落ちてくるほど日焼けしました。

 

 

この時私が取材したのが当時話題になっていた大阪桐蔭vs花巻東の対戦カード。
藤浪選手と大谷選手は今でもプロとメジャーで活躍していますね。

 

 

甲子園取材以外では、プロ野球選手やサッカー日本代表メンバー、ロンドン五輪に出場する選手の取材等が印象に残っています。

 

 

 

スポーツ班に配属されてから1年半後、業務にも慣れ惰性的な毎日を送っていた矢先、朝のOA終わりに突然、

 

 

 

「あ、おまえ、来週からエンタメ班な」

 

 

 

 

 

 

突然の異動です。

 

 

一般企業で言うところの引継ぎ期間などあったものではありません。

たしか言いつけられたのは金曜日でした。
情報番組におけるADの異動なんてこんなものです。
今考えてみると、当時の趣味がアニメ系だったのでそれが影響したのだと思っています。

 

 

ちょうど、サブカルを中心に扱ったコーナーもあったため、その企画に関するロケに数多く同行しました。
声優さん、アニメ制作に関わる方、アニソンシンガー等を中心に取材を行っていました。
もちろんそれ以外にも、番宣で出演する俳優さんや芸人さん、夏のお台場のライブイベントに出演するアーティストの方と一緒に仕事をすることもありました。

 

 

この頃の一週間のスケジュールは・・・

 

 

とくに決まっていません。

 

 

朝出社することもあれば、てっぺん(夜中12時)に出社することもある、日勤だけやって帰宅できることもあれば、徹夜をしたり、一週間会社に泊まることもありました。
番組によっては規則性があるものもあるとは思いますが、生放送が毎日あるこの番組ではシフトなどあって無いようなものでした。

 

 

よく、「ADさんって、椅子並べて寝たりするんでしょー!」と友人に言われますが、椅子があるのは良い方で、生放送終わりに力尽きて椅子にたどり着けず、床に転がり眠るディレクターもいましたね。
ちなみに私は、椅子2個派でした。

 

 

OA終わりの屍になったディレクターさんたち。

 

 

この業界を知らない方からしたら、なにがそんなに疲れるんだと思われるかと思いますので、参考までに生放送に携わるADのスケジュールを載せます。
※一例です。
※うろ覚え&分かりにくいです。

 

 

OA担当ADスケジュール

 

 

円グラフにしようとしたら二周超えてて無理でした。

 

 

とにかく拘束時間が長いんですよね。
朝から朝まで働くんですが、体力使い切った頃に、テロップ発注やテープ納品でダッシュしたり階段を2段飛ばしで降りたりと、最後の最後まで身体を酷使。
朝、OA終わりに帰れるのも良い方で、そのままロケに行ったり、ディレクターから仕事を頼まれたりすることもあります。

※帰れない。

 

 

 

 

「空き時間に一回帰って2時間睡眠するくらいなら、会社に泊まって4時間寝たい」

 

 

ADあるあるかなと思います。

※帰らない。

 

 

 

 

 

思いのほか長くなってしまったので続きは次回。

 

 

 

 

 

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